コーチのつぶやき「露光漫筆」

 

CLAY Tennis Club・京都クレイスポーツ少年団

代表 森昭夫による雑文です。

不定期に掲載します。

 

NO.25 2024年1月12日(金)

つれしょん

 買い物を終え、「用(小便)」を足していたスーパーのトイレで出入り口から、ぱたぱたと小走りする音が聞こえてきました。 我慢しきれない事情を持つ男の、「入室」の知らせです。

 入ってきたのは1、2年生らしき小学生。威勢よく入ってきたものの、人の気配を感じて一瞬足を止め、わたしと目が合うと少し驚いた表情を見せて横並びの便器の前に、そろりと進み、ぴょこんとお辞儀をしてくれました。「おぅ」と言葉を返すと、少年は急いでズボンとパンツを床まで下ろして「放水」の準備にかかります。

 少年は、見られたくないチンコを隠そうと便器に張り付くように前進します。でも、上から丸見えです。両手の親指と人差し指でチンコをつかみ、放水する向きを調整していました。つれしょん(連れ小便)のスタートです。

 少年の、すぐに飛び出たオシッコは勢いよく便器に突き当たります。なんと、その高さは少年の胸の位置、すごいパワーです。見とれてしまいました。量の多さに自信があっても、チョロチョロという弱さでは自慢できず、わたしの力負けです。

 放水を終えた少年は、ふーっと小さな息を吐いてチンコの先っちょに残ったオシッコを、腰を振って振り飛ばし、ズボンとパンツを持ち上げて洗面台に移り、手を洗います。そして、ペーパータオルで手を拭き始め、あどけない笑みをわたしに向けてくれました。

 それには応えなくてはいけません。わたしは最後の一滴を絞りきり、「ぶぶー」と一発返してあげました。

 クレイの子どもたちだったら、この茶話を聞いて何を感じ、何を言うでしょう? 想像してみました。

 友希人は「覗(のぞ)いたら、あかんで」、啓太は「見んといて、ほしいな」、佳智は「オレなら、もっと高く飛ばせるで」、奏助は「ぶぶーって、なんやねん」、悠人は「オレには関係のないことで……」、旦人は「ちょっと、はずかしいなぁ」、隼雅は「森コーチの、おケツを叩(たた)いたるわ」、大遥は「ぼくも、ぷーとお返しするわ」、康介は「ぼくだったら(大便用の)個室に入って、するわ」、蒼介は「それが、どうしたん?」、 楓雅は「さっさと済ませて出ていくわ」、俊祐は「チーンと、お鈴(りん)の音を真似て、送り出してあげるわ」、直大は「そんなん、放(こ)かれたら臭くて、たまらんわ」でした。

 

 

NO.24 2023年11月10日(金)

カメよ 元気でな

  地下鉄の終点、国際会館で下車し、宝ヶ池公園の遊歩道を散策していたときのこと。歩道脇の、水の流れのない、幅と深さが約30㎝の溝に目が止まりました。のっしのっしと動く、黒くて大きな物体です。なんと、カメでした。

 早速、カメと周辺の様子を観察、確認しました。甲羅は縦25㎝、横20㎝ほどの大物です。甲羅の尻尾には、乾いた泥が付着していました。

 一方、カメが進む溝の前方10mほど先には、鉄の網が立てかけてあります。枯れた葉っぱや木の枝を止めて水だけを流せるように作られた網で、カメは、そこから先の溝に進むことも歩道に登ることもできず、行き止まりです。また溝は、カメの身体の長さと、ほぼ同じ幅で、カメが向きを変えたりUターンしたりすることも困難な形状です。

 なぜ、こんな溝にカメがいるのか? 数日前に降った雨に誘われて迷い込んだのか? 歩道から転げ落ちたのか? しかし、それはどうでもよいこと。今年は記録的な暑さが続いて、11月に入っても「夏日」の予報が出るほどの異常な気候です。きょうも25度を超え、甲羅が乾いてカメは死んでしまうのでは、と救出を急かされました。

 以前にも、鴨川や桂川、天神川の川原で進路を見誤ったカメを数回、川に戻してやったことがあります。だけど、きょうのカメは、これまで助けたことがないほどの大きさで、片手で捕まえられるような重さとも思えません。さて、どうしたものか? 首も脚も長そうで、噛みつかれたり引っ掻かれたりされないだろうか、抵抗されたらどうしよう、と不安でした。

 そこで、木の切れ端にでも載せて運びだそうと思い立つのですが周りを見渡しても、そんな重宝な物は見当たりません。救助するには、やはり両手で捕まえるしか手立てがないと思い知ります。腹をくくりました。生き物が苦手、などと弱音を吐いている場合ではありません。気合いを入れ、カメと向き合うことにしました。

 カメは、近づくと警戒して動きを止めました。わたしは、肩から提げたバックの持ち手をグッと押し上げ、身をかがめてカメを両手で持ち上げました。するとカメは脚を、次に首をスーッと引っ込め、何をされるか心配な様子で硬い甲羅の中で身動きもせず、じっとこらえていました。

 カメは意外と軽く、運ぶには片手で事足りるものの、その運び方には工夫が要ることに気づきました。カメのお腹と背中(甲羅)をひっくり返して、甲羅を手の平に載せる方法です。さもないと口や脚で襲われそうに思えて怖かったのです。

 では、どこに放つか? カメが逃亡を始めた場所は多分、国際会館内の池か宝ヶ池です。どちらの池も、カメを発見した場所とは可成り離れていて、片手で運べる重さとはいえ、元の場所へ移送するのは相当な骨折りです。また、避けたいのは通行人との遭遇です。何をしているのか、と疑念や不審の目を向けられるのが面倒です。そこで選んだのが、近くを流れる人気の少ない、岩倉川です。

 誰とも出会うことなく、川原に降りることができました。お腹と甲羅の向きを反転させて砂地に降ろすと、カメは生気を取り戻して脚を伸ばし、首を出し、水辺を目指して突進、浅瀬を渡って本流に近づいていきました。冒険心に動かされ、流れに身を任せようとしたのかも知れません。

 カメは、水かさの増した、勢いのある流れの前で、わたしのほうに向き直ります。ありがとう、と伝えてくれたのでしょうか。わたしは予期せぬ、そのカメの所作に思わず目配せして「元気でな」と知らせました。カメは、それを感じ取ってくれたのか、得心したような動きを見せて、流れに身を浮かせて離れていきました。

 ところが姿を追って見送っているとき、ふと悔いる思いに駆られました。この川へ逃がすのがよかったのか、と。もしかして、あのカメにも両親がいたのでは? わが子やパートナー、兄弟姉妹や友だちも。そんな絆を打ち壊すのではないか、と心を配れなかったことが不覚に感じたのです。

 ただ、川は繋がっていて、一苦労だけれども川原を逆行するのは可能で、家族らの元に戻れるかも知れません。あるいは、楽天地や理想郷を目指すきっかけをつくってあげることができたのかも知れません。そう思うと、命を救えた行いに、気を静めることができました。

 

NO.23

2023年8月2日(水)

 お転(てん)婆(ば)娘(むすめ)と、やんちゃ坊(ぼう)主(ず)

 

 夏(なつ)祭(まつ)りが行(おこな)われました。荷(に)車(ぐるま)などに載(の)った子(こ)ども神(み)輿(こし)が7基(き)、近(ちか)くの公(こう)園(えん)の、お地(じ)蔵(ぞう)さんの前(まえ)に勢(せい)揃(ぞろ)いして、お祓(はら)いを受(う)けました。

 わたしの住(す)むマンションの神(み)輿(こし)も台(だい)車(しや)に載(の)せられ、20人(にん)ほどの園(えん)児(じ)や小(しよう)学(がく)生(せい)が引(ひ)っ張(ぱ)りました。子(こ)どもたちに負(ま)けない人(にん)数(ずう)の自(じ)治(ち)会(かい)役(やく)員(いん)や保(ほ)護(ご)者(しや)が巡(じゆん)行(こう)を見(み)守(まも)り、わっしょい、ドンドン、ピッピの掛(か)け声(ごえ)や太(たい)鼓(こ)、笛(ふえ)の音(おと)を賑(にぎ)やかに路(ろ)地(じ)に響(ひび)かせました。

 その数(すう)日(じつ)後(ご)、お祭(まつ)りの写(しや)真(しん)をマンションの集(しゆう)会(かい)室(しつ)に展(てん)示(じ)し、希(き)望(ぼう)者(しや)に申(もう)し込(こ)みを受(う)け付(つ)けて配(くば)ることにしました。壁(かべ)に貼(は)りだしたのは拡(かく)大(だい)した10数(すう)枚(まい)のスナップ写(しや)真(しん)、いずれも自(じ)治(ち)会(かい)役(やく)員(いん)が撮(と)ったものです。

 毎(まい)日(にち)、親(おや)子(こ)連(づ)れが見(み)にきました。「ぼくたち、なんで背(せ)中(なか)ばっかりなん?」。ドキッ。小(しよう)学(がく)2年(ねん)生(せい)男(だん)児(じ)の鋭(するど)い指(し)摘(てき)でした。

 言(い)われて、写(しや)真(しん)の一(ひと)つひとつを見(み)直(なお)すと、たしかに子(こ)どもたちの後(うし)ろ姿(すがた)の多(おお)いことに気(き)づきました。撮(さつ)影(えい)した役(やく)員(いん)は、写(しや)真(しん)の主(しゆ)人(じん)公(こう)はお神(み)輿(こし)だと思(おも)い込(こ)み、シャッターボタンを押(お)したのでしょう。だから、子(こ)どもたちの姿(すがた)は目(め)立(だ)たず、写(うつ)っていてもカメラに向(む)けてポーズを取(と)る元(げん)気(き)な顔(かお)が少(すく)なく、男(だん)児(じ)が不(ふ)平(へい)を言(い)ったのです。

  子(こ)どもたちのは見(み)方(かた)は厳(きび)しく、物(もの)言(い)いは正(しよう)直(じき)で遠(えん)慮(りよ)がありません。クレイの、ちびっ子(こ)たち(ゆきと、けいた、ななえ、そうすけ、ここ、あさと、しゅんが)なら、どう言(い)うか。ふと、彼(かれ)らの声(こえ)を想(そう)像(ぞう)してみました。

 「なんでやねん。ぼくがいないやん」、「みんなが並(なら)んだときに写(うつ)せばよかったのに」、「うち、こんな写(しや)真(しん)、いらんわ」、「この写(しや)真(しん)、やばくない?」、「あのさ、もっと考(かんが)えて写(うつ)したらよかったのに」、「ボクちゃんは、どこにいるんだよ?」、「森(もり)コーチが写(うつ)したんやろ? 変(へん)な写(しや)真(しん)」。なんだと? 文(もん)句(く)を言うんじゃねえよ!(森)

 さて、これらは、誰(だれ)が言(い)ったと想(そう)像(ぞう)した「文(もん)句(く)」だったでしょうか?

 

 

 

NO.22

2023年5月7日(日)

天から声が、大丈夫?

 

 高齢者の運転免許更新前に義務付けられた認知機能検査と講習に行ってきました。この日に予約を入れていたのは、わたしを含めて6人。自動車運転教習所内の小さな部屋と教習運転コースで、検査と講習を受けました。

 認知機能の1問目の検査は、大型のテレビ画面(モニター)を使って行われ、果物や野菜、文房具などの絵が4つずつ4回に分けて計16種類が映し出されました。教官が「これは動物のライオンです。隣の絵はお花のバラです」などと一つひとつの絵の品名(呼び名)を教えてくれました。

 その後、モニターが消され、「16種類の絵を思い出して、その呼び名を全部、答案用紙に書いてください」と教官が指図しました。それを聞くや否や、一瞬にして脳みそが凍りつき、呼び名を思い出そうとすると頭の中に白い幕のようなものがモヤモヤと広がっていきました。慣用句「頭の中が真っ白に」とは、よく言ったもので、すぐに思い出せたのは、たったの4つです。

 解答時間は3分です。少し落ち着きを取り戻し、オルガン・ラジオ・ニワトリなどを思い起こして答案用紙に書き込むものの、答えることができたのは、(16種類の)半分以下の7つです。

 教官が、「はい、時間です。鉛筆を置いてください」と解答を止めます。自分の不出来な結果に恥ずかしいやら、認知症への心配やらで、落ち込んだのは言うまでもありません。でも、他の5人の受検者も同じような解答数だったようで、ほっと胸をなでおろしました。

 2問目は前問をやさしくしたような問題で、答案用紙に「乗り物の絵は?」、「衣類の絵は?」、「家具の絵は?」などとヒントが書かれていました。それを参考にすればモニターで見た16種類の絵の呼び名を簡単に思い出せるという訳です。1問目の解答で受検者の多くが手こずるのを見越したような単純な問題でした。 

 実際、ヒントを参考にしてオートバイ・スカート・ベッドなどと15種類を答えることができました。1問目でヒヤリとさせて、2問目でホッとさせる仕掛けだったようです。

 答えられなかった1種類の呼び名のヒントは「野菜の絵は?」でした。答案用紙を集めに回った教官が答を教えてくれました。「タケノコでした」と。

 検査を終え、教習コースで車を運転して講習も終了し、「証明書」が渡されましたが記憶力の低下は歴然としています。ふと、クレイの練習時に起きる、ある現象が気になりました。

  クレイの子どもたちの中には〇〇すけという名前の子が4人もいます(しゅんすけ・そうすけ・こうすけ)。そのうちのそうすけという子は2人います(奏助・蒼介)。また、〇〇とという子も4人(ゆきと・あさと・はると・なおと)〇〇がという子が2人(しゅんが・ふうが)〇こという子が2人います(ここ・りこ)

 学年が違って顔も体格も似ていないのにしゅんがふうがを取り違えるのは2人が兄弟だからです。ここりこも姉妹だから、よく間違えます。しほみなほの場合は、同じユニフォームを着て、似たようなメガネをかけているからというのは言い訳で、実は名前を呼ぼうとするとき、ペアを組む2人の名前が頭の中でグルグル回って、どっちがどっちなのか、こんがらがって判らなくなるのです。

 憶えやすいのに、忘れてしまったり言い間違えたりする名前はけいた・ななえ・さやか・たいよう・まきこ・さらです。呼ぼうと思っても名前が、なかなか出てきません。ななえななみまきこまちこと言って、怒られたことがありました。みんなに、間違えては叱られ、忘れては笑われ続けています。

 自動車運転教習所で気になったという「クレイの練習時に起きる、ある現象」とは、この「名前を忘れる、間違う」ことを指します。脳が老化し、知的能力が低下してきた証拠です。つまり、認知機能検査の1問目の結果とクレイの練習時に起きる現象は、つながっているのです。

 「名前を忘れる、間違う」現象は最近に始まったことではありませんが、わたしの認知症が進行していることは確実です。「大変だ~。車の運転とクレイでのテニス、大丈夫か?」。そんな声が、天から聞こえてきました。

 

 NO.21

2023年4月7日(金)

「CLAY」の意味は?

 「CLAY」の意味は? と質問を受けました。

 CLAYの日本語は「クレ」と発音・表記することが多いようですが、わたしたちのCLAY Clubは「クレ」と称しています。辞書を引くと意味は「土(粘土や陶土。それらで作った皿)」と書かれていて、土のコートはクレーコートと呼ばれています。

 テニスコートの種類はグラス(天然芝)コート、ハード(ゴムやコンクリート製)コートなどに大別されます。昔はクレーコートが主流でしたが、現在は人工芝コートが大勢を占めています。

 雨が降ればクレーコートは、ぬかるんでプレーすることが困難ですが、人工芝のコートは降りやめば水の引きが早く、すぐにプレーできる優れものです。わたしがテニスを始めた中学校のコートは土の校庭で、インターハイや国体の会場、CLAY Clubを創ったときに借りたコートもクレーでした。日本で人工芝コートが生まれたのは1982年、CLAY Club誕生の5年前です。

 クレーコートは常に手入れすることが必要です。雨でコートに水がたまると穴を掘って雨水を地下に吸い込ませたり、タオルに浸(し)み込ませたり、コートブラシなどで掃きだしたりしてコートを整備したものです。また、クレーコートには草が生えることが珍しくありません。除草して、コートを平らにしたり土を固めたりするのに石や鉄の重たいローラーを引っ張ってコートの表面を均(なら)しました。

 雪が降ったり霜が降(お)りたりすることが予報されたときは前日に大きなビニールシートをコートに被(かぶ)せたり、猛暑や日照りが続くときはホースで散水したり、乾燥を抑えて適度な湿り気が必要なときは塩化カルシュームという薬剤を蒔(ま)いたりしてきました。さらに、練習を始める前には毎日、ライン引きという如雨露(じょうろ)のような形をした道具に石灰と水を混ぜた白い液体を入れ、白線を引き(書き)ました。

 クレーコートは、そのような整備をしないと、良好なコンディションを保つことはできません。人工芝コートで育った現代の子どもたちには、そんな整備を体験することは少ないでしょうが、昔の人たちは丁寧に、大事にコートの世話をしてきました。そこからわたしが学んだのはテニスへの「愛」で、その想いを込めて名付けたのが「CLAY」です。

 とりわけ、卒業した高校のコートには特別な思い入れがあります。コートは、もちろんクレーコートで、グラウンドの隅の、校舎から200mぐらい離れた大きなコンクリート壁の前に、1面だけ付設されていました。

 雨の日の昼食は教室で食べましたが、雨が降らない日はコートで弁当を広げました。雨天などでコートを使えない日は教室でミーティングを行い、その後は傘をさしてコートへ行き、異変がないか、どこに雨水が溜(た)まりやすいかなどをチェックしました。学期ごとに行われるテストの前と期間中は部活は中止ですが、コートの補修をしたり、コンクリート壁を相手に壁打ちをしたりして汗を流しました。

 高校で過ごした場所は授業のない夏休みや春休みなども含めると、校舎よりテニスコートのほうが多かったかも知れません。練習を終えてネットを畳み、コートブラシを掛け、箒(ほうき)で白線を掃いた夕暮れどきのコートは、薄暗くなった周囲から浮かび上がるように輝いて威容を誇っていました。それは数十年の月日を経てもなお、心の中に生き続ける、忘れられない光景です。                                    

 その母校のコートは人工芝に替わり、CLAY Clubが活動するコートも人工芝ですが、コートの種類が替わってもCLAY Clubの活動理念は変わることはありません。叶えられるものなら、もう一度「土のコート」に巡り合いたいと思っています。

 

 

NO.20

2023年1月14日(土)

以下の文は、㈱ ベースボールマガジン社発行の「SOFT-TENNIS MAGAZINE2023年3月号№581(1月27日発売)の「読者のページ」に掲載されました。

コートに元気な「はい」と明るい笑顔を

 小学生の大会を久々に観戦して、驚いたことがあります。まだ、こんなことが行われているのか、と。

 それはシングルスの試合で、「何をやっている」、「教えたことをやれ」、「お前はバカか」、「もう負けてしまえ」などの怒声・罵声・暴言を選手に浴びせたベンチコーチの言行です。当日だけで3件も実見しました。「あんな試合をして……。車には乗せないぞ、歩いて帰れ」と、自身の子どもに冷たく言い放つ保護者もいました。

 青少年のスポーツをめぐっては、近年、勝利することを至上と捉える指導者の選手への体罰、保護者による審判への無法な抗議問題などが浮上し、目下改善が計られています。また、新型コロナウイルスの影響で、大会が縮小されたり中止されたりして、子どもたちを取り巻く競技環境は様変わりしました。

 そんな事態を経ながら、大会が少しずつ開催されるようになったのは快報です。子どもたちにとって、大会が行われるコートは晴れ舞台です。うれしさの中にもドキドキする気持ちが混じって、すぐには普段の力が出せないこと、実力差に気後れを感じること、ミスを多く出してカウントを悪くしてしまうこともあるでしょう。

 はつらつとした気分でコートに立ったのに、勝利とは別の達成感や充実感を得ることもできたのに、怒声・罵声・暴言を受けた子どもたちの表情は一変し、自信をなくします。迷いが起き、身体の動きが鈍くなり、フォームが崩れていきました。教えを乞う人に突き放されて孤独に陥り、心の中は涙で溢れそうになったことでしょう。

 何日も練習を重ねて大会に出ることを楽しみにしていたのに、そんな辛い目に遭うとは……、見ていられませんでした。テニスが嫌いになってしまうのでは、と気がかりです。

 伸び伸びとボールを追う子どもたちを育て、見守ることが指導者の一番の務めだと思います。ベンチコーチは、戦法の指示・修正をアドバイスすることが大きな役目ですが、子どもたちを落ち着かせ、励まし、元気づけることにも身を砕かねばいけません。たとえ敗れても叱責するのは常軌に外れます。試合を終えると「ありがとう」、「おめでとう」と、あいさつできる雰囲気づくりに、力を注ぎたいものです。        

 ほっと、救われたような気持ちにさせられたのは女性のコーチが、形勢が不利な選手をサイドチェンジで送り出す際に発した、温かい「楽しんでね」の言葉です。選手は明るく「はい」と答えて駈けていきました。その後、劣勢を覆せず敗北を喫しますが、さわやかな笑顔でコーチの元に戻ります。額に流れた汗が、ぱっと光って見えました。その子は次の日から、きっと新たな目標を立てて練習に励んだことでしょう 。

 

 

NO.19

2022年12月30日(金)

子どもたちへ。

下の文章に書かれた(問題①~⑧)の、に入る言葉を考えてください。保護者は読み聞かせるだけで、教授は禁止です。

 

 

 あ~あ

 闇の中へ頭から突っ込んでいく。止めようとしても身体は宙に浮いて、いうことを聞かない。「とんでもないことが起こるー」。そんな悪い夢を見ているようなシーンを記憶に残し、事が始まった。

 気がついたときは、救急車のベッドに寝かされていた。救急隊員が、「きょうは何月何日か、言えますか?」。「12月24日です」と答えると「名前を言ってください」と訊(き)かれ、それにも正確に答えた。

 「通行人が通報してくれました。意識が30秒ほど、なかったそうです。階段を段(問題➀)落ちたと言っていました。何が起きたのか判(わか)りますか?」。隊員の問い掛けが続くが、すぐには思い出せなかった。

 徐々に記憶をたどれるようになった。午後4時半ごろ、テニスの活動を終え、帰宅するのに市バスに乗り、地下鉄に乗り換える際の階段を下りるところで、先述のシーンと繋(つな)がった。

 救急隊員に、気分は悪くないですか、吐き気はないですか、痛い所はどこですか、と矢継ぎ早に訊(たず)ねられた。右肩に痛みがあり、触ってみると首との間に出っ張りを感じた。骨折か? 入院、手術が必要で大けがかも知れない。きょうはクリスマス・イヴ、1週間後は大みそかなのに、あ~あ。

 救急車の中で、搬入する病院探しが始まっていた。コロナ禍、どの病院も大変な状況であることが伝わる。断られ続けて受け入れが決まった病院は、帰路に乗った市バスの停留所前の病院(問題②)。救急車はサイレンを鳴らして発進した。

 病院に着くとストレッチャーに移されて車から降ろされ、廊下を何度も曲がって検査室らしい部屋へ運ばれた。救急車にお世話になるのは2度目。前回は20年ほど前、めまいで入院した。当時の病院で初めて見たのは、廊下の白い天井と電灯だった。今回、同じような光景が目に飛び込んできた。

 心電図が出力され、血圧が測られ、血液検査とレントゲン撮影が行われた。結果は、「右肩の、骨の一部の接続部が浮き上がって外れていますが、骨同士が自然に接着してくれるでしょうから、手術は不要だと思います。紹介状を書きますので、月曜日に自宅近くの病院で診察を受けてください」と医師は言った。ほっとしたが、急に両手と腰から上の脇の下、背中、首、顔、頭に痛みを覚えた。救われたのは歩けることだった。

 医師が付け加えた。「血液検査で、高い数値が出たのは肝臓です。用心してください。(問題③)の量は、ほどほどにね」と言った。

 若い看護師が、わたしの右手を首から三角巾で吊し、打ち身で腫(は)れて動かせない左手の指に湿布を貼るなど、簡単な手当を施(ほどこ)してくれた。だが、靴を履かせるのが雑だったため、両足の筋肉が引きつりを起こし、打ち身とは別の激痛が走って、狭い部屋で悲鳴を上げてしまった。経験不足による応用の利(き)かない、親切気のない看護だった。

 待合室に妻がいた。救急隊員が、わたしのスマホで連絡したという。「頭部を打っています。すぐに来てください」と妻は言われて動転し、最悪の事態が頭をよぎったらしい。さらに、2時間も待たされたため、「手を尽くしましたが、及びませんでした」と宣告されそうな気がして、生きた心地がしなかったと呟(つぶや)いた。

 妻の横に座って小一時間後、受付の窓口で治療費の請求書が渡された。9万6千円、目が飛び出た。あ~あ。

 病院を出てタクシーを待ったが、クリスマス・イヴと重なる土曜の夜はタクシー業界にとっての稼ぎ時、空車は通らず、「賃走」車両ばかりが目の前を走り回っていた。

 そこへ市バスが来た。乗車することが、きょうの事故ルートの確認と事故原因の調査を意味するようで、いやーな気分になりかけたが、そこはグッとこらえて慎重に乗り込み、空(あ)いた座席に腰を下ろした。ところが2つ目の停留所で地下鉄への乗り換えに立とうとすると、両手を使えないことに気づく。脇の下と背中が痛くて立ち上がれないことも知るが、妻の助けで何とか下車した。妻はそのときから無免許の新米介護師に早変わりした。

 事故現場の前に立ち、階段を見下ろした。事故を引き起こした要因は何か? おおよそ見当は付いていた。1つは、つま先をあまり上げずに歩く昔からの癖である。盛り上がった路面につまずいて転びそうになることは、しょっちゅう起こしている。もう1つは、メガネのレンズを曇らせたマスクである。前が見にくくなり、階段を踏み外したのではないか、と推測した。しかし、癖かマスクかを問うのは見当違い。原因は不注意の一言に尽きると思った。

 階段通路を確かめた。少し急な傾斜だが特別ではない。一段一段の幅は狭いかも知れないが、足を乗せるのに充分な長さ、広さがあり危険ともいえない。やはり、注意を怠って降り始めた第1歩に、重大な過ちがあったと解(わか)った。

 転げ落ちたという段数も調べた。それは1区画(ブロック)としての数が大体決まっていて、階段通路には幾つものブロックが作られている。そのブロックとブロックの間には平らなスペース「踊り場」があり、階段を行き来する人は、そこで足休めをすることができる。わたしの転落を途中で食い止めてくれたのは、その踊り場だったことも解った。

 帰宅すると、さまざまな困難が待っていた。まずは、おしっこ。右手は三角巾で吊されて使えない。左手は人差し指が腫れて曲げると痛い。それでも何とか「社会の窓」をこじ開け、アレを引っ張り出したが間に合わず、(問題④)をしてしまった。

 次は食事。イスに座るのも大変で、一旦座ると立ち上がれない。なにせ両手が不自由な上に、背中や脇の下が痛くて伸ばしたり曲げたりできないのだから仕方がない。スプーン・フォークは左手で持てるがお箸は無理と知る。しかし、食欲が全くなく、牛乳とバナナしか口にできなかった。耳の上あたりも何かに、ぶつけたらしく、痛くて口を大きく開けられないことも判った。

 3つ目は入浴だ。風邪をひいても入ることが多かったのに、この夜は諦(あきら)めて介護師に温かい濡(ぬ)れタオルで拭(ぬぐ)ってもらった。そのほか、歯磨き、ひげそりなど、困ることが山ほどあった。日課の鼻クソ掃除は鼻の穴が、腫れた指の侵入を拒否したため、「ほじくる」楽しみを奪われてしまった。

 最大の難関は就寝だった。寝るのはベッドではなく、畳の間の布団の上だ。その布団に身を置くことも、身体を倒して寝転ぶことも、寝返りを打つことも、起き上がることも介護師の腕力だけでは無理。事務用イスをリクライニングにさせて眠ることにした。しかし、これは短時間休憩するためには有効だが、睡眠には適さない。布団で眠りたい。明日もイスの世話になるのか? 悪夢を見た。

 鏡で顔を初めて見たときのこと。禿(は)げ頭の左側に血痕のような赤い帯が天辺(てっぺん)に向かって伸びている。ほかにも目の下や鼻、おでこやほっぺたなど、顔中に赤い点々が付着していた。介護師に訊いた。「なんで、病院は血を拭き取ってくれなかったんだ?」。介護師は「その赤いのは擦(す)り傷で、拭いても取れません」と答えた。なるほど、左手で表面を触ってみてもザラザラして赤い点は消えなかった。

  心配した娘がLINEで容態を訊(たず)ねてきた。交信中の画像を見て「ゴルバチョフさんみたい」と言い、孫たちが笑い転げた。「ばかやろー」と返し、やっと笑顔を作れた。

 

 2日目、日曜の朝。イスに座って一夜を明かした。1時間おきに目が覚め、上半身から痛みを受け続けた。相変わらず食欲はなく、何も食べたくなかった。

 クラブから、お見舞いのカステラが届き、事故が知れ渡って電話、メールの着信が続いた。スマホを開くのもボタンを押すのも時間がかかる。一日中、イスに座りっぱなし。配達された新聞は広げられず、平積みに。

 慰めは、日曜開催が多くて、めったに生中継が観られないラグビーを、テレビで観戦できたこと。この日は大学選手権の準々決勝2試合。痛みに耐えて観たのは京都産業大対慶応大の準々決勝。京都産業大が1点差で辛勝し、対戦成績0対4に初勝利してベスト4入りを果たした。熱戦に、しびれた。

 夜、けがを負って初めてシャワーを浴びることにした。右手が上がらずシャツを脱ぐのも大仕事で、「いてっ(痛い)、ててててー」に新米介護師は、その都度「ひゃぁっ」と叫んで手を引っ込めていた。浴室の鏡に映ったのは脇の下や二の腕に現れた不気味な青いアザ。いつ治るのか? あ~あ。

 パンツを穿(は)くのも介護師頼みだが、変化も起きた。アレを一々引っ張り出して、おしっこするのは面倒くさくて失敗も多いので、便座に座る方法に変えた。近ごろは男子にも多いスタイルらしい。座って気づいた。トイレが(問題⑤)ではなかったら、お尻拭き拭きも介護師に頼まないとダメだったな、と。

 恐怖の寝る時間が来た。イスは、もう嫌だ。わが家にベッドはないがソファーはある。痛みをこらえて介護師の手を借りれば、ソファーに座ることができて身体を横に倒すことも可能じゃないか? 試すと意外と容易に身体を横たえることができた。しかし、起き上がるときは、そのとき以上の痛みが伴い、その数倍の時間が必要なことが目に見えた。

 

 3日目の月曜日。介護師が「大きな、いびきをかいていたよ」と教えてくれた。

 この日は、受診で近所の整形外科医へ行く。この2日間は外に一歩も出ずにいて、事故後初の、3日ぶりの外出だ。もちろん介護師がお供をしてくれるが、バスの乗り降りに自信がなく、医院へはバス停が3つほど先の距離なので徒歩で行くことにした。知り合いに出会うことのないよう、大通りを避けて。

 医院で入念なレントゲン撮影を受け、医師が、救急病院で言われたことと同じように手術は不要なことと、2日後は右肩に被(かぶ)せる医療用防具を作るだけで特別な治療はしない、と告げた。右肩以外の胸などにも異常が見つかるのではないかと案じていたが、心の重荷が下りた。本物の介護師のテキパキとした介抱にも安堵(あんど)を覚え、家路につく足取りは軽く、帰宅するなり(問題⑥)が戻った。現金なものだと、あきれ返った。

 

 4日目の火曜日。症状は前日と変わらないことが多いが、ゆるやかなペースの変化も見られた。平積みにしていた新聞を広げられるようになったのが、その一つ。見出しの拾い読みが主だが、美文・名言で編まれた記事を探す意気も、取り戻せつつある。発行部数が年ごとに減っているが、情報の信憑(しんぴょう)性は他の媒体(ばいたい)に勝(まさ)って新聞の発信価値は不変だと思う。

 一つひとつの所作の回復も試みた。シャワーを入浴に変え、自分で(問題⑦)を上げ下ろしし、ひげそりを再開した。

 

 5日目の水曜日。医院で再診を受け、医療用防具の採寸をしてもらった。出来上がるのは1月6日と聞き、落胆した。年末年始のことだからと思うが、10日も先とはなー。それまでの治療は自然任せとは。

 

 6日目の木曜日。左手の腫れが引き始めた以外、変化なしだが、時間はかかっても大体のことは自分でできるようになった。しかし、ソファーからの起き上がりは、未(いま)だに重労働で上半身が痛く、気が滅入(めい)る。その姿は他人には、ちょっと見せられない。

 ソファーに横たえた身体を着座の姿勢に変えるには両腕の力が必要なのだが、右肘(みぎひじ)しか使えない現状は非常事態といえる。それを打開するのに要する時間は早くて2分。毎回、コツをつかもう、タイミングを合わそうとするが、成し得ない。ソファーの上で、痛み・焦(あせ)りを相手に激闘が続く。

 

 7日目の金曜日。頭の擦り傷に瘡蓋(かさぶた)ができて、元の(問題⑧)に戻ろうとしている。ほかには快方に向かう兆しはない。むしろ、新たに気づくことが多い。

 クシャミをしたとき、刃物で刺されたような強烈な痛みが胸に走り、その場に、うずくまってしまった。咳(せき)をしても同じようなことが起きた。アザはないが、肋骨(ろっこつ)を強打していたことが解る。ほかにも、手首や足首、臑(すね)や膝(ひざ)から痛みが出てきた。

 このまま年越しか? 明日は大みそか、2日は初打ち会なのに老老介護は続く。あ~あ。

 

 

 

NO.18

2022年12月12日(月)

 久々の観戦

 

 11月27日。全国大会の6種目中の4種目に、クレイクラブから6人が京都府代表に名を連ねました。クレイ初の栄誉です。

 入賞した選手は、最後まで残って応援する人がいたことに気づいてください。決勝トーナメントに進めなかった選手は、その悔しさが歓びに変わるように気持ちを切り替え、新たな目標を考えてください。スポーツ大会に出場する大きな目標は勝つことですが、勝利とは別の達成感や充実感を得るのも重要なことだと認識してください。

 今回の観戦で気になったことがあります。自分を励ますため、緊張をほぐすため、気持ちをふるい立たせるために元気な声を出すのは、もちろん問題はないのですが、相手のミスに「ラッキー」、「もう1本」などと大きな掛け声を上げる選手が目につきました。ルール違反ではありませんが、相手のプレーに対する表現や、相手を威圧する言葉の発声は自重すべきです。その掛け声をすれば勝てますか? そんな掛け声を出さないと負けますか? 出さなくても勝てます、勝ちました。強い精神力を身につけてください。

 テニス発祥の地はフランスと言われ、イギリスで育って発展しました。マナー(礼儀・行儀)を重んじる国で、テニスの大会でもプレーや応援に一定の配慮を求めています。その一つが、相手のミスに拍手をしない、良いプレーには敵味方の区別なく拍手を贈るという行為です。相手を尊重し、相手のプレーを讃えるという伝統は、時代が移って価値観に変化が見られても引き継がれていくことでしょう。相手がいて試合ができる、敗者がいて勝者が生まれることに心を配っていきたいものです。

 見ていてドキッと感じたプレーもありました。相手をじらすためではなく、自分を落ち着かせるためだったことは判っていましたが、相手がレシーブする態勢で待っているのに、なかなかサーブをしなかった残念なプレーです。ルールに触れるプレーではありませんが、これは明らかなマナー違反です。自分の都合で勝手にプレーを遅らせることは慎まなければいけません。テニスの試合は、一つのテニスコート、限られたボール、一定の時間を対戦者と共有して成り立ちます。

 感心したのは真規子・紗矢花ペアの、試合の進め方です。ふたりの間に相手がボールを打ち込んできても、「お見合い」をしませんでした。ふたりのどちらかが大きな声で、「私が取る(打つ)」と言って返球していました。掛け声は自分たちのためにだけする、という良い見本です。

 わたしは、クレイクラブを起ち上げたときから、マナーを重視してきました。それはこれからも貫いていきます。「クレイ」のゼッケンを背中に付ける選手は、自覚を持って試合に臨んでください。下級生のお手本になって。

 

 試合を終えると、「ありがとう」、「おめでとう」と「あいさつ」できる雰囲気、そんな環境を目指すことが、わたしの使命だと思っています。

 

 

NO.17

2022年9月14日(水)

 推理問題の解答

 

 「露光漫筆」№16の推理問題には、10人(子ども6人、大人4人)から回答がありました(メールでの回答9、電話1)。

 「八幡には八幡スポーツ少年団というクラブがありますよ」。「へぇー」。この会話がヒントでした。つまり、電話をかけてきた男性はスポーツ少年団という子どものテニスに、あまり興味を示さなかったのです。

 八幡に住んでいた、と回答した人が2人もいたことは偶然の一致で妙。男性が双子の子どもの親、テニスの初心者、クレイのコーチや保護者と知り合い、という答を予想していましたが、同姓同名と連想した答えは意外でした。

 

菅井奏輔

「こどもじゃなくて、おとながたいけんにくるから」。

 

雲井蒼介

「体験に来たい人が子供ではなく大人だった」。

 

延尾隼雅

「わかりません。もっとヒント下さい」。

 

延尾楓雅

「広島の…八幡に住んでたと言われた」。

 

岡村茉音

「子どもではなく電話の男子の人本人だった」。

 

延尾泰雅

「森コーチと同姓同名だった、です」。

 

菅井奏輔の母

「クレイを知ったのが、[八幡]ではなく[京都]スポーツ少年団ソフトテニスで検索したらクレイのホームページが出てきて、八幡がここだと思った。または、八幡スポ少の野球を探していたが、なんやかんやでクレイソフトテニスのホームページにたどり着いて楽しそうやっ、だったので、野球経験者であった」。

 

細川瑚子の父(電話)

「家族4人の答としてですが、体験希望者は子どもじゃなく大人だった、です」。

 

齋藤旦人の父

「例の男性は広島にすんでいた時に、八幡と言う町に住み、呉テニスクラブに通っていたと推理しました。呉市に八幡町と言う町がありました。恐らく八幡町にお住まいで、呉テニスクラブに通ってらっしゃったのだとおもいます。京都に来て同じ地名、似た名前のテニスチーム。不思議な縁を感じられたのでは?」。

 

正木志帆の母

「八幡スポーツ少年団まで、歩いていける距離だったということだと思います」。

 

 ということで正解は「体験の希望者は子どもではなく、電話をしてきた男性(大人:井上結太くん)」でした。

 正解者は4名(子ども3、大人1)でしたが、大人にはご遠慮願い、19日に、子ども3人に賞品を授与します。

 

№16

2022年9月5日(月) 

 推理問題 

 9月4日(日)の夜9時ごろ、男性の声でスマホに電話が入りました。スマホの電話帳に未登録の相手で、携帯電話からの着信です。「見学と体験をお願いしたいのですが」と、話しかけてきました。

 「うちのクラブ(クレイ)を何で知りました?」。「ホームページ(HP)を見ました」。「ありがとうございます」と会話は、お決まりの受け答えで始まりました。

 見学や体験を申し込む手助けになるのは、今回の「HPを見て」以外に、「友人の勧誘や紹介を受けて」、「京都市などの冊子や広報誌を読んで」があります。申し込みの問い合わせは電話とメールに二分されます。

 会話は続きます。「どこに、お住まいですか?」。「八幡市橋本です」。「あ、そうですか。八幡には八幡スポーツ少年団というクラブがありますよ」。「へぇー」。「廃校になった市立第五小学校の校庭で活動しています。そのクラブとは親しくしていて、練習をしに行ったことがあります。なぜ、うちのクラブを選ばれたのですか?」。「HPを見て、いいなと思ったからです」。「でも八幡からだったら、うちのクラブは遠いですよ。第二名神高速道を使っても30分は掛かりますね」。「はぁ(気のない応答)」。「うちのクラブの活動地はどこか、判りますよね」。「いいえ、あまり詳しくは知りません。広島県の出身で2年前に京都に来たばっかりなので……」。「ふーん」。「車を持っていないので電車で行こうと思います」。「えぇっ!」。ビックリしました。

 その後も男性との会話は続行しますが、「京阪電車の東福寺駅で降りてください。駅を出た所にコンビニがありますから、そこで待ち合わせましょう。わたしも車を持っていませんので、そこから一緒に歩きましょう。20分です」。「楽しみです」で通話は終わりました。11日の日曜日に会えます。もちろん、待ち合わせ時間も教えています。

 さて、問題です。「ビックリした」の後と、東福寺駅での待ち合わせを伝えた会話の間に、ここには書いていませんが、いろいろと男性に質問しています。その中で、もう1回おどろかされたことがあります。それは何でしょうか。いろいろと連想してみてください。「八幡スポ少」がヒントになるかも知れません。

 

 

№15

2022年6月30日(木)

以下の文は、㈱ ベースボールマガジン社発行の「SOFT-TENNIS MAGAZINE2022年9月号№576(8月27日発売)の「読者のページ」に掲載されました。

「楽しい」が先に生まれて「好き」は後から

 クレイクラブの活動日には、賑やかにコートの周りを飛び回るちびっ子の姿があります。すでに入団しているお兄ちゃんやお姉ちゃん(小中学生)のお供として、クラブに連れてこられた幼稚園児や低学年の子どもたちです。

 仕方なく付いてきたちびっ子たちですが、その中にはラケットを握ってボールに触れる子が幾人かいて、わたしは彼らの相手をすることにしました。ところが彼らが集中できるのは、小刻みな中断を挟んで午前中の約1時間が限度です。すぐに「休憩したい」、「遊びたい」と言い、声を大にするのは「試合をしたい」です。しかし、彼らには試合ができるような「お手並み」はまだなく、すぐに遊びほうけて一日を終えていました。そこで思い立ったのが、ちびっ子向けの試合方式「CLAY ルール」です。

 そのちびっ子たちは、もともとテニスが好きで習いたい、という子どもではありませんが、「練習したら試合をするぞ!」と呼びかけると目の色が変わり、多い日は10人ほどが加わるようになりました。教えるのは、「空振りしない、打球はネットを越す」の2点のみ。みんなは真剣、懸命に励みます。

 約束どおり、「CLAY ルール」で試合を始めました。このルールで、ちびっ子が体験初日から戦えること、高学年の初心者も同等に対戦できることが判りました。また、「楽しいな」の満足感をまず芽生えさせ、次に「好きになった」の達成感を抱かせることも可能、と確信しました。

 順位を決めない試合(大会)でも、ある程度の勝負意識がないと盛り上がりません。勝利への意欲がわくのは自然な成り行き、上達への足がかりにもなります。ただ、勝ち負けにこだわりすぎると「楽しさ」が奪われ、本来の目的「競い合う歓び」が失せてしまいます。無論、だらだらと練習や試合をするような「遊びのテニス」とも、わたしの趣意は一線を画します。

 試合を終えると当然、悔し涙が見られ、親に知らせる歓びの声も聞かれます。「次は」、「次も」という意気込みの表れです。そして、その先には上級グループへの道が拓けます。上に進んでもらいたいけど、彼らと過ごす時間が減るのは、と私心は欲張り、揺らぎます。 

 

「CLAY ルール」

初心者がマッチ(クラブ内の試合)を行う場合の特別ルールです。

① ペアを組むのは初心者と上達者(コーチや保護者も可)とする。

② 対戦を設定する場合は、双方の初心者の習熟度を重視して、双方の実力が均等になる       ような上達者をペアに充てることとする。

③ サーブ・レシーブ・サイドを決めるときのトスを行うのは、初心者とする。 

④  サーブは全て初心者が行うこととする。

⑤ サーブを行う初心者以外は、コートに立つ位置の制限は受けないこととする(どこに  立っても可)。

⑥ サーブを行うのはセンターマーク地点か、センターラインとサービスラインが交差す  る地点で、その選択は初心者の習熟度に合わせることとする。

⑦ サーブの打ち方も、初心者の習熟度に合わせてボールを1バウンドさせて打つか、   ノーバウンドで打つかを選択できることとする。

⑧ サーブはボールがネットにかかるか、ベースラインまたはサイドラインの外に出た場  合にフォールトとする(サービスラインの存在は無視)。

⑨ 敵陣のサーブを受けるのは初心者・上達者の、どちらでも可とする。

⑩ レシーブとラリーで返球するときは、ノーバウンド・ワンバウンドに限らず、2バウ  ンド以上で打ち込むことも可とする。

⑪ 返球する場合、バレーボールのように自陣でペアとボールを繋いだり渡し合ったりす  ることを可とし、その数は3回までとする。

⑫ ⑪で、繋いだり渡し合ったりするのは、ペアが交互に行っても単独であっても可とす  する(⑪と同様に3回まで)。

⑬ 対戦中、転がっているボールを繋いだり渡し合ったりしている回数が3回以内であれ  ば、そのボールをすくい上げて返球することも可とする。

⑭ 敵陣に返球できるのは全て初心者とする。

⑮ 対戦するとき、双方の初心者の習熟度に開きがある場合は、習熟度が高いほうの初   心者は

  ◆ サーブをする位置を正規に戻す。

  ◆ 返球するまでのボールを繋いだり渡し合ったりする回数を減らす。

  ◆ 敵陣のサーブ全てを受ける。

  に変更できることとする。

                                                                                             以上

                                                                                

上に記載されていないルールについては日本ソフトテニス連盟の競技規則に基づくこととしますが、実際にマッチを行う場合は、そのときの状況に即して柔軟な対応を行ってください。

                                        

                               

№14

2022年6月11日(土)

スポーツで目指すのは?

 

 子どもたちのスポーツ環境で今春、大きな話題を呼んだのは、小学生が競う柔道の全国大会(個人戦)の廃止問題です。行き過ぎた勝利至上主義が事の起こりといわれています。競技中の判定をめぐって指導者や保護者が審判に執拗に抗議したり、口汚くののしったりしたことが、「廃止」の動きを生んだようです。また、他の事例として、戦う階級を下げるために体重の減量を強要して試合に出させたことも判明し、「廃止」へ繋がったようです。

 日本の柔道の競技人口は2004年は20万人で、2021年には12万人まで減っているそうです。「2020 東京オリンピック」では史上最多の9個の金メダルを獲得して、競技人口の増加が期待されましたが不調に終わっています。そこへ不穏な空気をもたらしたのが今回の「廃止」です。

 その実状について朝日新聞の塩谷耕吾記者は、全日本柔道連盟が改善を怠ってきた課題として、「一つは、“勝つ”こと以外の競技の魅力を発信できていないこと。“強ければ人は増える”と五輪の金メダルをめざして強化に注力した結果、“精力善用”、“自他共栄”など柔道の持つ教育的な価値が薄れていった。子どもが礼儀作法や道徳を身につけるために柔道を習うフランスとは対照的だ」と述べています。

 朝日新聞デジタルは小学生の全国大会開催についてのアンケートを行い、その結果(回答数217)を紙面でも発表しました。「賛成と、どちらかといえば賛成」の合計は85、「反対と、どちらかというと反対」の合計は120で、「どちらともいえない」は12だったそうです。反対系の票が多かったことに驚きました。

 「全国大会を経験すると親も周りも浮かれ、過度な期待をし、おかしな時期があった」、「小学生のうちは純粋に楽しめる環境を整えるほうが、全国大会に出場させるよりも大事かも知れない」、「小学生とはいえ、スポーツに力を入れている児童は多くいる。それなのに、その活躍の場を奪ってしまうのはどうなのだろう」、「娘は小学生のころから全国大会に出ていた。それは娘にとって努力したことのご褒美であり、競技を続けるステータスだった」。回答者の意見です。また、アンケートの別の問では、70%以上が「楽しい体験をすること」を選び、「勝利を目指すこと」は17%弱だったといいます。

 全国ミニバスケットボール大会では、ベンチ入りした子どもたち全員が出られるようにして、優勝チームを決めない交歓大会にしているそうです。日本バスケットボール協会U12部会長の小林勉氏は、「これによって、指導者が勝利にこだわらず、まず出場機会を創出したいという意識が高まってきました」、「一律に(全国大会を)廃止したから良くなるかと言えば、疑問符が浮かびます。根本の解決策は、指導者と保護者のマインド(心・精神)改革です」と話しています。

 国内の総人口が減少する中、各団体は競技人口の減少に頭を痛めています。取り組む課題は、もちろん「増やす」が大前提でしょうが、現実には難題です。「現状を維持する」か「微減に留める」が可能な目標ではないでしょうか。たとえ小学生の全国大会を廃止する動きが、さらに広がったとしても、活動する子どもたちの減少を食い止めるような理論(対策、工夫)の構築と、その実行が肝要だと思います。

 では、日本スポーツ少年団の登録者数は、どのように推移しているのでしょう。日本スポーツ協会専務理事の森岡裕策氏は、「最盛期だった1986年度の約112万人から、2021年度には約57万人とほぼ半減している」と言います。少子化や、指導者・顧問(教員)・施設の不足が要因でしょう。そんな中で森岡氏は、「小学生の全国大会をなくすと、少年団の登録者数が激減する可能性がある」と、さらなる懸念を示しています。

 ソフトテニスの登録者数を調べてみました。日本ソフトテニス連盟の、全国の小学生から一般までの登録者数は、2009年度は461,508人で2019年度は410,074人(11%減)、京都府の小学生から一般までの登録者数は2009年度は7,713人で2019年度は5,693人(26%減)、京都府の小学生だけを見てみると2009年度は847人で2019年度は749人(12%減)です。京都府で意外だったのは中学生の登録数で、2012年度の5,186人のピークから2019年度の2,882人(44%減)への落ち込みです。

 その他の年度別や都道府県別などの細かな数値は、ここでは省きますが、柔道の小学生全国大会「廃止」は、他の競技の全国大会にも開催意義の再考を提起し、競技人口の全国的、総合的な減少傾向と結びつけた対策の必要性を競技団体や活動現場に訴え、その改善を促す契機を与えてくれたと言えるでしょう。そして、スポーツ少年団が掲げる「一人でも多くの青少年にスポーツの歓びを提供する。スポーツを通じて青少年のこころとからだを育てる。スポーツで人々をつなぎ、地域作りに貢献する」という理念を改めて思い起こさせてくれました。

 折しも今朝の新聞は、京都市教育委員会が市内の小学生の大会「大文字駅伝」を休止することを決めた、と報じました。勝つための練習が加熱して、無理な練習でひざや足を痛める児童が出たことが問題になったようです。走ることが好きな子どもの、落胆する顔が浮かびます。

 

 

№13 

2022年5月9日(月)

若竹へ

 今年ほど、タケノコをよく食べた年はありません。知人からたくさん頂きました。   一回り以上も年上だった姉は、無類のタケノコ好きでした。早春の朝掘りが始まると産地をあちこち訪ねて買い回り、毎日のように調理して食べていたことを思い出します。京都では西京区大枝の塚原、長岡京市、向日市が名産地として知られています。

 春、草木が新芽を出して新緑に輝くころ、竹の葉は黄色く染まって散っていくそうです。理由は、地中で生まれたタケノコが竹から養分を奪って葉を枯らすため、と聞きました。

 一方で紅葉の時季、タケノコが立派に育った後の竹の葉は元気を取り戻して、新緑のように鮮やかに輝くそうです。俳句では、その葉を「竹の春」と詠んで秋の季語、「竹の秋」は春の季語、という知見も新聞に教わりました。

 今年のゴールデンウイークは、最大で10連休という豪華な過ごし方をした人がいたようです。京都では、前半は雨と晴れが交互に変わって肌寒い日が続きましたが、後半は清々しい五月晴れに恵まれました。

 連休が明けると、4月に入学・入社した新人に「五月病」が現れることがある、といいます。環境が変わって、なかなか慣れないために起きる不安定な精神状態を指します。楽しいことが終わった後に味わうような虚脱感に似ているかも知れません。

 しかし春は四季(春夏秋冬)の一番手、羽ばたき・巣立ち・飛躍する季節です。夢を広げ

て希望を追うスタートラインでもあります。

 クレイでも3月に卒部した3人が中学へ進み、テニス部に入部したそうです。また4月から、幼稚園を卒園した1年生、来年やそれ以降に卒園するちびっ子たちも練習を始めています。ともに、新しいペアや友だちを見つけて成長していくことでしょう。スクスク伸びて、大きな竹に育つことを願っています。 

 

 

№12の問題の正解を最も早く回答してくれたのは延尾泰雅くん、じゃなくて延尾ママでした。

 

 ①の「テニスの4大大会が開かれる国名」の答は、イギリス・フランス・アメリカ・オース                  トラリアです。

 ②の「ノバク・ジョコビッチの出身国」の答は、セルビアです。

 ③の「今年の全豪オープンの男子シングルスで優勝した」の答は、スペインのラファエ  ル・ナダル選手でした。

 

 では、④の「文中に出ていたラケット会社の名前」の答は、何でしょう?

 文中に「1990年代に倒産」と書いていましたので、現存する国産メーカーのミズノ・ヨネックス・ダンロップ・ゴーセン・プリンスなどは答から除外されます。消滅したのはフタバヤ・カワサキ・昭和ゴム(赤M)・Futabayaなどですから、答はこの中にありました。カワサキです。この答を導くのに、戸惑いがあったことと思います。

 というのも、日本ソフトテニス連盟は現在、「カワサキ」をラケットの公認メーカーにしているからです。その詳しい経緯は、ここでは触れませんが倒産したカワサキと、公認されたカワサキは別会社なのです。ちなみに、倒産した「カワサキ」の正式名は河崎ラケット工業(株)でした(創業者が河崎吉太郎)。川崎重工業や、カワサキモーター(Kawasaki)とも無縁です。

 回答に協力されたであろうソフトテニス歴のある保護者、特に学生や社会人時代に活躍された方は迷われたことでしょう。実は、そこが出題の「ミソ」でした。子どもたちにはチンプンカンプンな話だったでしょう。

 

 

№12 

2022年2月9日(水)

 新型コロナウイルス・オミクロン株の驚異的な感染の広がりでクラブの練習が、またできなくなりました。そんな中、第24回オリンピック冬季競技大会「北京2022」が始まりました。

 さて、きょうのテーマは1月に開催されたテニスの「全豪オープン(世界4大大会の1つ)」についてです。1月現在の世界ランキング男子1位のノバク・ジョコビッチ選手が出場できないことがテレビなどで大きく報道された大会なので、知っている人、観た人がいるかも知れません。

 きょうは、その大会に出場した日本の女子選手のことをお話しします。とはいっても、2年連続の優勝を果たすかどうかで注目された大坂なおみ選手のことではありません。準決勝で惜しくも敗れた女子ダブルスのペアです。そのことを書いたあとに、いつものように問題を出しますから、お楽しみに。

 

 わたしは昔、テニスとバドミントンのラケットを製造、販売する会社に勤めていました。最初は工場で、ラケット(当時は木製)はどのように作るのかを学ぶ研修を受け、次は営業マンとしてテニス・バドミントン用品を東京都内をはじめ、全国のテニスショップなどへ配送する仕事を担当したり、中学校やママさんクラブ(今はOGと呼ぶらしい)でテニスの指導をしたりしました。ときどき大会に出たり、全国大会の会場に行って会社の宣伝をしたりもしました。

 その後、わたしはラケットを輸出する貿易課に移ります。主にアメリカへ、たくさんのラケットを売り込む部署でした。そこの課長はアメリカ軍の横田基地の近くに生まれ、英語がペラペラでした。自宅に招かれたこともあり、女の赤ちゃんがいたことを憶えています。

 7年ほどが過ぎたころ、わたしは事情があって、その会社を辞め、小さなテニスショップに転職しました。そこの社長と貿易課の課長、わたしの3人は同じ会社で働いたという共通点があり、お二人は、わたしの先輩でした。ちなみに、その社長にも5歳くらいの女の子がいました。

 全豪オープンの話に戻します。準決勝まで勝ち進んだ女子ダブルスの選手の名前は青山修子・柴原瑛菜(えな)でした。世の中には同名の人がたくさんいて、わたしの知り合いにも複数の青山、柴原という人がいます。しかし、テニスでペアを組む2つの名前を見て、目を疑いました。そんな偶然があるのか、奇跡ではないのかと。

 実は、あの貿易課の課長の名前は青山、テニスショップの社長の名前は柴原だったのです。青山課長は柴原社長のお店の相談役もしていましたので、不思議な縁も感じました。

 わたしたち3人が勤めたラケット会社は1990年代に倒産しています。それまでに従事した社員数は数百人にも及ぶとみられ、まだまだ存命の人も多いはずです。ペアを組んだ「青山・柴原」の名を新聞やテレビで見て、わたしのように驚きをもって懐かしんだ人も少なくなかったと思います。

 しかし、「青山・柴原」ペアは課長と社長の娘さんたちと同世代ではありません。お孫さんぐらいの年齢と見られますが、孫という可能性も低いと思われます。ただ、はるか遠い昔まで遡ると、両家は繋がっているかも知れません。

 お二人には大変お世話になりましたが、残念なことに、どちらもすでに亡くなっています。今回抱いたわたしの思いに、お二人は空からなんと応えてくださることでしょう。東京や埼玉、神奈川で暮らした若きころの日々を、いろいろと思い返すことができました。 

 

では、問題です。ネットで簡単に調べられます。解らないところは、お母さんやお父さんに訊いてみてください。特に④は難しい問題です。答はメールで知らせてください。

 

① テニスの世界4大大会とは、それぞれ、どこの国で行われるのでしょう。

② ノバク・ジョコビッチは、どこの国の選手でしょう。

③ 今年の全豪オープンの男子シングルスで優勝したのは、誰でしょう。

④ 文中に出ていたラケット会社は、なんという社名でしょう。

 

 

№11

2022年1月6日(木)

 

迎(げい)春(しゅん)

 「本多山(ほんたやま)」へ新年のあいさつに行くと決めていた朝、自宅(じたく)の玄関先(げんかんさき)で出ばなをくじかれました。念(ねん)のためにと調べて、財布(さいふ)が見当たらないことに直面(ちょくめん)したのです。

 前日の外出時、財布(さいふ)は手提(てさ)げカバンに入れていました。財財布(さいふ)には現金(げんきん)1万円(まんえん)ほどと免許証(めんきょしょう)やクレジットカードなどが入っています。しかし、探(さが)してもカバンの中に財布(さいふ)はありません。

 昨日(きのう)の記憶(きおく)を辿(たど)ることにして、部屋に戻(もど)ってみました。よく、財布(さいふ)をスマホなどと一緒(いっしょ)にカバンから取り出して机(つくえ)や本棚(ほんだな)の上に置(お)くことがあります。置(お)き忘(わす)れていないか、引き出しにしまい込(こ)んでいないか、床(ゆか)に落としていないか……。机(つくえ)の下や家具(かぐ)のすき間も念入(ねんい)りに探(さが)しました。だけど、見つかりません。記憶(きおく)も途切(とぎ)れがちでした。

 たまに、上着(うわぎ)やズボンのポケットに財布(さいふ)を突(つ)っ込(こ)むことがあります。でも昨日(きのう)着ていった上着(うわぎ)は、うろ覚(おぼ)えで、どれだったか判(わか)りません。ハンガーに掛(か)かった上着類(うわぎるい)を手当(てあ)たり次第(しだい)チェックしました。はいて出かけたズボンについては、洗濯機(せんたくき)に放(ほう)り込(こ)んだことを思い出しました。でも、どちらからも財布(さいふ)は出てきません。

  頭に血が上ってきました。額(ひたい)に汗(あせ)が滲(にじ)み始め、焦(あせ)る気持ちが募(つの)ります。

 カバンの中、机(つくえ)と本棚(ほんだな)の上、上着(うわぎ)やズボンのポケットの順(じゅん)に1から調べ直しました。何度も何度も。変(か)わらぬ結果(けっか)に思わず、「出てきてくれよ!」と弱音(よわね)を吐(は)いてしまいました。

 もう、あきらめるしかないのかも知れません。椅子(いす)に腰(こし)を下ろし、メモに残(のこ)していたクレジット会社の連絡先(れんらくさき)に、遺失(いしつ)の電話を入れようかと思案(しあん)しました。「どこで紛失(ふんしつ)しましたか?」と訊(き)かれたら、どう答えたらいいのかと自問(じもん)したとき、改(あらた)めて財布(さいふ)を使った昨日(きのう)の行動を思い返すことにしました。

 お金の出し入れをしたのは2箇所(かしょ)です。切手を買った郵便局(ゆうびんきょく)、2箇所目(かしょめ)は豆腐(とうふ)と納豆(なっとう)、お刺身(さしみ)などを買ったスーパー、その直後(ちょくご)は自転車で帰宅(きたく)しています。ということは、財布(さいふ)はスーパーを出た後の道中(どうちゅう)か自宅内(じたくない)で姿(すがた)を消しています。この記憶(きおく)は確(たし)かです。

 もう一度、カバンや部屋の隅々(すみずみ)を片(かた)っ端(ぱし)から当たってみました。が、無駄(むだ)でした。ならば、スーパーから自宅(じたく)までの道路で落としたことが有力(ゆうりょく)、その可能性(かのうせい)が大です。

 財布(さいふ)の中に名刺(めいし)を入れていますから、拾(ひろ)った人が善人(ぜんにん)なら電話で知らせてくれるか交番に届(とど)けてくれているはずです。しかし、落としてから12時間以上(いじょう)が過(す)ぎています。

 絶望(ぜつぼう)です。財布(さいふ)はもう、手元(てもと)に返ってはこないでしょう。そう思うと遺失物(いしつぶつ)の届(とど)け出(で)の煩(わずら)わしさが頭上(ずじょう)に重く、のしかかってきました。自分が招(まね)いた失態(しったい)です。潔(いさぎよ)く認(みと)め、素直(なお)に反省(はんせい)することに努(つと)めました。

 ただ、未練(みれん)が残(のこ)ります。もしかして、という微(かす)かな望(のぞ)みも捨(す)てきれません。その願(ねが)いが叶(かな)わなくても、これ以上(いじょう)落(お)ち込(こ)むことはないでしょう。スーパーへ電話を入れることにしました。

 「どんな形ですか?」、「どんな色ですか?」と問(と)われて答えると、次(つぎ)に訊(き)かれたのは「お名前は?」でした。名乗(なの)って、返ってきた言葉は「お預(あず)かりしています」。

 えッ! ウソッ! スマホを持ちながら直立不動(ちょくりつふどう)、「ありましたか。ありがとうございます」と謝(しゃ)し、頭を深々(ふかぶか)と下げました。

 頭から血の気、額(ひたい)から汗(あせ)が引くのを感じました。身も心も空も、「ハレ」です。結末(けつまつ)が逆(ぎゃく)であったときを想像(そうぞう)するのは残酷(ざんこく)です。振(ふ)り返(かえ)らず、「新年のあいさつは午前中に済(す)ませなくっちゃ」と、玄関(げんかん)を勢(いきお)いよく飛(と)び出(だ)していきました。

 

ここで問題です。

① 文頭(ぶんとう)の「本多山(ほんたやま)」とは、どこのことでしょう。

② 文中(ぶんちゅう)に出てくるスーパーは、なんという名前でしょうか。

  ②のヒントは、「自転車で行った」です。

 

 

№10

2022年12 月17日(金)

 

                       わたしは、だれでしょう?

 

    森コーチには、好きなキャラクター(わたし)がいます。6つのヒントを用意しましたので、その「わたし」を当ててください。何番のヒントで答えられるでしょうか。

 

ヒント①

わたしは、ものを売るお店で働いています。社員は、わたしと社長の2人です。わた                   しは食いしん坊で、一番好きな食べ物は、たい焼きです。

ここで答えられたら、得点は10点です。

 

ヒント②

わたしの性格は、どちらかというと素直ではありません。人の言うことを聞かなかったり、人にさからったりします(それを、ひねくれている、へそが曲がっているという)。でも、ピアノを弾くのが得意です。

ここで答えられたら、得点は8点です。

 

ヒント③

わたしのお店には、ネコがいます。それは本物ではなく、置物です。ときどき独り言を言います。

ここで答えられたら、得点は6点です。

 

ヒント④

お店はヒマです。だからわたしは仕事をさぼって、ときどきスマホでゲームをします。いつも社長に怒られています。

ここで答えられたら、得点は4点です。

 

ヒント⑤

お店には毎日、小学生の女の子が来ます。商品を配達してくれるおばさんも、よく来ます。女の子はドラム、おばさんはコントラバス(バイオリンを大きくした楽器)を演奏するのが上手です。社長は歌ったり踊ったり、わたしはピアノを弾き、みんなで音楽を楽しんでいます。

ここで答えられたら、得点は2点です。

 

ヒント⑥

わたしは月曜日から金曜日までの朝7時20分に、テレビに出演しています。普段、みんなは、この時間に当校しているので、テレビを見ることができないと思いますが、今は冬休みですから、寝坊しない限り見ることができますよ。

ここで答えられたら、得点は1点です。

 

さて、「わたし」はだれでしょう。名前を当ててください。何番のヒントで答えられましたか? お店・女の子・おばさん・ネコ・社長の名前も教えてください。

 

 

№9 

2021年11月5日(金)

茉音(まお)ちゃんに聞け! の答 

 判りましたか?

 問題を出したときのヒント「8時25分」に、茉音ちゃんから「森コーチ、9時25分ですよ」と指摘を受け、すぐに訂正しましたが、そのヒントがテレビ番組の放送時間だと感づいた人が多かったものの、わたしが時間を誤ったために答を引き出すことが難しかったようです。

 この問題を出そうと思ったのは、茉音ちゃんがNHKテレビで放送されている番組「きょうの料理」(夜の再放送)を題材にした文章を、「はん・もく」ノートに書いていたからです。「きょうの料理」は長年続く人気番組で、みんなも、お母さんたちも見ているだろうから話題になるのでは、と見当をつけたのです。

 しかし、問題を出してから、時間を間違えた以外にも失敗があったことに気づきました。みんなは9時ごろには、もう眠っているという生活習慣(まだ起きている子もいるかな)を見すごしていたのです。それは、答が、なかなか集まってこなかった、もう一つの理由だったと思います。

 問題の猫がテレビに出てくる番組は、「きょうの料理」が終わった9時25分から5分間の「きょうの料理ビギナーズ」です。ただ、本番で猫が出てくることは、あまりありません。出てきても番組の最後のほうで、しかも、名前を呼ばれることは、めったにありません。だから、猫が出てくる番組だと判っていても、その名前までは、なかなか、たどり着けなかったのではないでしょうか。しかし、そこが出題の「みそ」、簡単には判らないような問題にしたのです。

 ところが、さすがは茉音ちゃん。ネットでしっかり調べて正解を一番に言い当てました。延尾家の三兄弟も早かったですね。

 答はプチでした。

 では、次回をお楽しみに~。

 

 

№8

2021年11月2日(火)

茉音(まお)ちゃんに聞け!

 

 わたしは高木ハツ江といいます。78歳です。近所に孫たち、斎藤一家が住んでいます。孫のしょうたは8歳、あかねは10歳です。そのお母さんはとし子で48歳、お父さんは真(まこと)です(年齢は不明)。とし子は、わたしの娘ですよ。わかってますか?

 わたしは猫を飼っています。孫たちの家までは歩いて10分、週に1回は行きます。そのとき、猫も一緒です。今回の問題は、その「猫は何という名前でしょうか?」です。

 茉音ちゃんなら、何か情報を持っているかも知れません。茉音ちゃんに聞いてみても、いいですよ。挑戦してください。

 ヒントを1つだけ教えます。「9時25分」です。だけど、これが解(わか)っても猫の名前を見つけるのは、とてもむずかしく、ねばり強い探究心(調べたり考えたりすること)が必要です。

 答え、待ってまーす。

 

 茉音ちゃんに、お願い。

   問題が解(と)けても、情報だけを教えて、答え(猫の名前)は黙(だま)っていてね。

 

 

№7

22021年10月28日(金)

合宿を終えて

 

お礼

 おやつやドリンクを提供してくださったOBの保護者の方々、コート・宿舎・賞品・弁当・飲み物・備品等の手配や準備をしてくださった子どもたちの保護者のみなさん、ありがとうございました。おかげさまで、立派な合宿ができました。来年こそは従来の、本来の、「宿泊する合宿」が行えるよう願っています。OBになる6年生も、ぜひ来てください。

 

紅白戦

 10月23・24日(土日)に、クレイテニスクラブの合宿を行いました。33年前の創部当初(ジュニア部を作ったのは22年前)から、途切れず続けてきた合宿ですので33回目です。

 新型コロナウイルスの影響で昨年と同じく、宿泊したのは7名という少なさ。大半が二日続きの日帰りで参加しました。それでも両日とも、OB(詳細は「活動記録」に掲載)を含めて総勢40数名が集い、盛会だったと思います。

 今年の特徴は、参加した保護者に、かつて日本や京都を代表する名選手が多かったことです。加えて、テニスが縁で結ばれたと思われる夫婦の多さにも、改めて感じ入りました。

 初日は強い風が吹き荒れ、寒さを感じました。二日目は打って変わって穏やかな気候に恵まれ、汗ばむほどでした。恒例の紅白戦を行ったのは二日目、好運でした。

 11ペア同士の対戦でした。去年は一方的に勝敗が決まりましたが今年は1対1の接戦でした。迎えた3回戦は中盤で紅組が追い上げる展開、大いに盛り上がりました。

 3回戦のわたしの相手は仁奈・北村コーチ組。1ゲーム目(5ゲームマッチの戦い)、ペアの有紗ママがボレーをぽんぽん決めて先取。「勝てそうですね」と言われて、その気になりました。その調子、その調子。

 しかし、前衛の北村コーチが左右に動き始め、わたしの戦法を読んで次々とポイントを上げ挽回します。ゲームカウント1ー1です。

 ふりだしに戻って、わたしたちをなめて、手を抜いていた、まだエンジンのかからない仁奈にわたしは高いロブを打ち、振り回しをしました。功を奏してミスを誘い、2ー1で再びリードします。

 4ゲーム目、「あと1ゲームですね」(勝利)と有紗ママが笑顔を見せます。わたしの気分は楽勝モードに早変わり、気をよくします。油断をしたわけでも、勝ちを急いだわけでもありませんが、打球の着地がライン際に集中しました。審判は同じ紅組の直大、アウト・セーフに微妙な判定が4つも続きました。ちょっと味方をしてくれたら3ー1で押し切って勝てたのに……、あ~ぁ。いやいや、直大はフェアでした。

 勝てば負け越しを食い止め、白組との勝敗を5ー5のタイに持ち込める大事な一戦です。気を落とすことなくファイナルに臨みます。一方、追いついた相手は目の色を変え、勢いづいていました。本気です。ペア同士の年齢の合計は、わたしたちのほうが、はるかに上でした。そんなことに負い目を感じてはいませんでしたが、体力や技量には、やはり差がありました。わたしは、ずるずるとミスを連発、万事休す、力尽きました。この時点で3回戦は4ー6、残り1試合の戦果を待たず、今年の紅白戦は1対2、紅組の敗北が確定した瞬間です。

 過去に、親子が同じ組で、子どものほうが勝ったのに親が負けたために賞品がもらえないという紅白戦がありました。その子どもが、激しく泣き叫んだことを思い出しました。

 わたしの試合が終了してすぐ、戦況を見つめていた紅組の同志、悠人が近寄ってきました。ふと、もしかして悠人も、と予感が。しかし悠人は薄笑いを浮かべて、「ファイナルでも、0ー7?」と浴びせます。きつい皮肉でしたが、ほっとしました。

 

感想

① 幼い隼雅と啓太の試合は最後(11試合目)ではなく、中間に挟むべきだった。

② 紅白戦とは別に、夫婦・親子対決をすればよかった。

③ 紅白戦で勝った組の子どもには、お菓子や飲み物などの賞品を用意すればよかった。

                      気づいたことや意見を聞かせてください。

 

 

№6

021年8月13日(金) 

硬式テニスで試合を始めるとき、審判はどんな言葉を発するのか?

答:「ラブ・オール」でした。

 硬式テニスで審判が試合開始を告げる用語は、「ラブ・オール」です。

 その用語は、どのようにして生まれたのでしょう。諸説あります。

 ソフトテニスは、「セブンゲーム(s)マッチ・プレー」のコール(呼びかけ)で試合が始まります。1ゲームは4点制ですので4点先取したチームが、そのゲームを獲得したことになり、「3対3」の場合は「デュース」と言い、以後は続けて2点取ったチームが、そのゲームを獲得したことになります。このルールは硬式テニスでも同じで、どちらもカウントは「0対0(ゼロ・オール)」からスタートして「ワン・ゼロ」、「ワン・オール」などと進みます。ただ、カウントをコールする言葉(呼び方)には違いがあります(後で説明)。

 では、「ラブ・オール」の「ラブ」とは、どんな意味なのでしょう。

 テニスはフランスで生まれました。そのフランスで、カウントする0(ゼロ)の字は卵の形に似ているとして、フランス語の卵「l'oeuf(ロエフ)」を0と言うようになったそうで、0が卵(l'oeuf)に変わったのです。

 ところがテニスがイギリスに渡ったとき、イギリス人が「l'oeuf」のスペルを英語の「love」に書き間違えた、またはイギリス人が「ロエフ」という発音を「ラブ」と聞き間違えた、と言われています。そしてテニスはイギリスで発展し、世界に「ラブ・オール(love all)」が伝わっていったという訳です。

 次は、「ラブ・オール(love all)」の意味です。答が、「0対0」、「ゼロ・オール」という説もあります。しかし、そんな単純な答を正解とするような出題は、あまりにも間が抜けていると思いません? 何の面白みもなく、ロマンに欠ける試みです。

 高校生時代に読んだ書籍は、love allを「全てを愛せよ」と直訳していました。コート、ラケット、ボール、自分自身など、対象は広く指すようです。さらに公正なプレーで相手を尊重し、健闘するよう促しているように思います。私見ですが、これが「ラブ・オール(love all)」の意味の答です。試合開始に相応しいコール(言葉・呼びかけ)ではないでしょうか。

 ちなみに、ソフトテニスのカウント0、1、2、3は、硬式テニスではlove(ラブ)、15(フィフティーン)、30(サーティー)、40(フォーティー)と言います。例えば1-2の場合は15-30、2-2の場合は30・allと言うのです。

 なぜ15、30、40という数字が使われるようになったのか。これにも諸説あります。勝負を賭けたお金の歩合を表す値だとか、60分という時間を4等分にしたという節です(15の倍数を加算すると30の次は45だが、フォーティーファイブと発音するのは長ったらしいから40・フォーティーにしたらしい)。が、はっきりしたことは判っていません。

 少し込み入った話になりました。でも、「Love all」に続けて、「Love fifteen 0-15」を「恋せよ乙女」、「Fifteen love 15-0」を「15(歳)乙女の恋心」と読めば、テニスはラブリーなスポーツだと再認識されるのではないでしょうか。 

 

 

№5

2021年8月12日(木)

「嚊」の問題の答

答:「かかあ」でした。  

 たくさんの親子がチャレンジしてくれたようです。すぐにLINEで解答を寄せる人もいました。ネットで調べた人が多かったようです。今の時代、あの手の出題は失敗でした。

  家内、女房、嫁などは自分の奥さんを人に言うときに使う呼び名です。他人の奥さんを言うときは、奥様、奥方、夫人などです。ふつう、お父さんは家で、奥さんのことをなんと呼ぶ? お母さん? ママ? 名前? わたしは「おい」、「お前」と呼びます。

  では、お父さんは奥さんのことを他人に話すときは?  わたしは、うちの上さん、愚妻、うちのやつと言います。嫁、嫁はん、お母ちゃんと言う人もいます。

  いつもなら、わたしは「愚妻」と書くのですが、あの文章では「嚊」と書きました。クレイのホームページに、みんなが興味を持ってくれたらいいなと思ったのが問題に出した理由です。つまり、「嚊」は関西ではあまり使わない言葉だったのです。関東で、よく聞く言葉で、落語でも「うちの嚊は、おっちょこちょいで、困っちゃうんだよ」なんて話します。嚊という言葉の意味合いや調子は関西と関東では違うように思います。関西弁では、ややバカにして見下したように聞こえますが、関東弁では愛嬌を感じます。

 日本語には、同じ意味を持つ言葉がたくさんあり、話す場面や相手によって、使う言葉を変える必要があります。その理由や使い方は、中学や高校で勉強することになります。

 

 

№4

2021年8月10日(火) 

ソフトテニスの豆知識

・テニスの起源

テニスと呼ばれるような競技が生まれたのは、いまから1200年も昔のこと、場所はフランスです。手のひらや手袋、木の棒のようなものを使ってボールを打ち合っていました。その後、ラケットを使うスポーツとして進化し、イギリスに渡って発展しました。ラケットとは、「手のひら」を意味します。

 

・テニスの種類

テニスには、大きく分けて2つの種類があることを知っていますか? 普通に「テニス」というものと、クレイクラブが活動している「ソフトテニス」です。2つのテニスの違いを見分けるには、使うラケットとボールを見れば解ります。ちなみに、テニスコートの大きさ(白線部分)は硬庭も軟庭も同じですが、硬庭ではセンターストラップという白いベルトをネットの中央に取り付けてネットを下へ締めつけます。

 

・昔は……

テニスのことを「庭球」と言った時代があります。ふわふわの羊の毛(フェルト)のボールを使うテニスは「硬式庭球」・「硬庭」、ゴムボールを使用するソフトテニスは「軟式庭球」・「軟庭」と呼ばれていました(後に・軟式テニス)。使うボールが硬い・軟らかいという理由で、そのような呼び方が生まれました。野球でも同じように「硬式野球」、「軟式野球」という呼び方が使われています。

 

・ソフトテニスの誕生

日本にテニス(硬式庭球)が伝わったのは、140年ほど前の1880(明治13)年ごろのことです。しかし、フェルトボールとラケットの値段が高く、テニスを楽しむ人はなかなか増えませんでした。ところが、その数年後の1884(明治17)年ごろに、安いドイツ製のゴムボールを使うことが考え出され、ラケットも改良されて全国に広まりました。ソフトテニスは、Born in JAPAN(日本生まれ)なのです。ボールは三田土ゴムという会社が、「赤Mボール」を創りました。

 

・今後の展望

軟式庭球から軟式テニスに呼び名が変わり、さらにソフトテニスと改称されたのは1992(平成4)年のことです。現在国内のソフトテニスの競技人口は500万とも700万とも言われています。それは、他の人気スポーツにも負けない数であり、ソフトテニスは親しみやすいスポーツといえるでしょう。ソフトテニスが外国に伝えられたのは、まだ40カ国ほどですが、4年ごとに世界ソフトテニス選手権、アジアソフトテニス選手権が開かれ、アジア競技大会では、すでに正式種目に選ばれるなど、ソフトテニスは世界に向けて活動を続けています(世界ソフトテニス連盟の本部は韓国ソウル)。わたしたち指導員の使命は、ソフトテニスをする喜びと楽しさを伝えて、愛好者を増やすことです。一人でも多くの人を、少しでも後押しできれば、と努めています。

 

さて、今回も問題を作りました。

 

ソフトテニスでは、試合を始めるときに審判が「プレー」と言います。では、硬式テニスでは、どう言うのでしょう? また、その言葉には、どんな意味があるのでしょう?

 

 

№3

2021年8月5日(木)

オリンピックと嚊

 「TOKYO 2020」は、8月8日(日)に閉会します。8月4日(水)までの日本のメダル(金銀銅)獲得数は40個です。最多はアメリカの79個、次いで70個の中国、53個のROC(ロシア・オリンピック委員会)が続き、日本は第5位です。

 金メダルの数では日本は21個で第3位、32個の中国が第1位、25個のアメリカが第2位です。アメリカと中国が、獲得メダルの総個数と金の個数で激しく競り合っているのがよく解ります。世界の覇権を握ろうとする米中 2大国家が、スポーツの祭典の場でも火花を散らしているような構図です。

 開催国、日本も健闘しています。「日本人として初」、「日本選手が最年少で」、「メダルの数が過去最多」などとメディアが報じ、テレビが嬉し涙と悔し涙を映し出しています。

 「TOKYO 2020」の開催に関しては、いろいろと騒がれました。ここでは、それには触れず、わが家での観戦状況を披露します。

 わたしが、「そんなもの、今見なくても後で結果は判る」、「これは、さっき見た」とテレビのチャンネルを変えようとすると嚊は、ふてくされます。ぶつくさ言われるのが嫌で、わたしはリモコンを渡します。

 好きな種目はバレーボール、卓球、体操、ソフトボールです。ルールを詳しく知らない種目もあります。試合の駆け引き、作戦、高い技術力、判断力などを知らず、ただ「止めた」、「打った」、「入った」、「決まった」を見ているだけなのです。そんな簡単な見方をして楽しんでいるようです。

 得点を上げると手をたたき、「よっし」、「きゃー」と叫びます。「うるさい、黙って見ろ!」と怒鳴ると一度は収まりますが、また始まります。そんなことをくり返す毎日です。

 独りで解説をすることがあります。「緊張している」、「焦っている」、「上がっている(平常心を失っている)」と言います。口癖です。おもに、日本が負けているときに発する言葉です。勝敗の原因はそんな単純なものではないのに、その三つの言葉で判定するという思考にも笑わされます。

 見ることをLIVEで終わらせればいいものを、試合の録画や試合後のインタビューを別のチャンネルでも見たがって、あきれます。芸能人などのスキャンダルを視聴するのと同じ感覚です。

 普段、チャンネルの奪い合いをすることはあまり、ありません。4年に一度、しかも延期を経て行われた世界最大のイベントです。それに夢中になるのは必然のことなのでしょう。

 救いは、しばらくしてその場で寝込んでしまうことです。わたしは、すぐに他チャンネルに切り替え、ボリュームを上げます。しかし、目を覚ますことはありません。

 あと数日の辛抱です。

 

 さて、タイトルの「嚊」とは何のことで、どう読むのでしょう?

 

 

№2

2021年7月27日(火)
「私は誰でしょう?」
 毎回、「はん・もく」ノートを忘れず提出する優秀な子がいます。しかし、その作品を添削するのに、いつも悩まされます。
 その子は1ページが150字ほどの、升目入りの作文帳を使っています。多くを書いたときでも、せいぜい2ページ弱の文ですが、この日に限ってどうしたことか5ページを超える数の文字を、収めていました。ええっ! と頭を抱えてしまいました。
 というのも、その子は崩し字を多用する「達筆」な書き手、句読点を省略したり改行を先送りしたりすることに「長(た)けた」表現者なのです。そのため文章は「難解」で、作品を読み解いて模範文を作成するのに相当な時間を要します。
 今回は語句を強調するつもりか、×・△・?・※・♂・♀・(^o^)、('_')、(>_<)といった記号や顔文字、また動植物の手書きの絵などを、漢字やカタカナ、ひらがなの字間に1個ずつ、所どころに挟み込んでいました。さらに、「めっちゃ」がお気に入りのようで何発も「当用」させ、「ごめんなチャイ」という幼児言葉の書き込みなども巧みでした。
 翌週の練習日に、1時間近くをかけて「格闘」した模範文を、その子に渡しました。そのとき、どうしても解らなかった文中の「4んでしまいました」の意味を質問しました。答は「お陀仏になったことです」でした。
 数字の「4」を駐車場や車番に使うことを嫌う人がいます。「4」(四)の音(おん)が「死」(し)と同じで、「4」は「死」と同意語だと言われることがあるからです。その子はそれを知って「死んでしまいました」と読ませようとしたのでしょうか。まさか……。
 ともあれ、その子はニヤッと笑って「してやったり」の表情を見せるではありませんか。それもそのはず、5ページにわたる長文と、記号や顔文字によるいたずら書きにした理由は単純でした。まるで、毎回「苦闘」しているわたしを知っているかのように、「コーチを困らせようと思ったのです。次は10ページくらい、書いてみようかな」などと、生意気な口を利いたのです。なんという恐ろしいことを言うのでしょう。だけど、思わず身構えてしまいました、不覚にも。
 さて、この「その子」とは誰を指すのでしょう? 仲間から、〇〇博士と呼ばれていることがヒントです。

 

 

№1

2021年6月17日(木)

 オリ・パラの「特別」とは何か?
 「TOKYO 2020」(オリ・パラ)は、新型コロナウイルスの感染が広がり、昨年3月にIOC(国際オリンピック委員会)が開催の延期を決めました。その1年後の国内世論は、8割近くが開催の中止か再延期を求めたようですが、菅総理は先日開かれたG7サミット(主要7か国首脳会議)で、「全首脳から(開催の)指示をいただいた」と述べ、強行する姿勢を改めて表明しました。
 現下は、変異ウイルスの拡散、医療従事者や病床の不足、飲食店や中小企業の経営悪化など、国民を取り巻く不安材料が少なくありません。予断を許さない状況が続いています。
 ところが、ここに来てコロナの感染者は少しずつ減少し、ワクチンの接種予約の枠に空が出るなど、明るい兆しが見え始めたようです。また水泳や野球、テニス等の日本の代表選手が次々と発表され、政権は追い風を受けています。
 オリ・パラは4年ごとに開かれるスポーツの祭典、世界レベルの優秀な選手が技を競う壮大なイベントです。わたしも多くの国民と同じように開幕を望み、観戦を楽しみにしていました。しかし、コロナ対策は、まだ充分ではなく、第5波が押し寄せてくるかも知れないという不安定な国内情勢が懸念されます。
 そんな中、スポーツに関わる人間として、国民の命にかかわることを軽視して大会挙行を重視する判断に、黙っていられなくなりました。オリ・パラに出る競技団体や選手の、開催をめぐる意見・主張を、いつ聞けるか、誰かが声を上げてくれるだろう、と期待していました。
 折しも、朝日新聞のインタビューに答える日本ウェルネススポーツ大学教授の佐伯年詩雄(さえき・としお)氏の言葉を記事で目にしました。「東京大会を開催するかどうかはスポーツの問題であり、スポーツが決めなければいけません」、「この状況でなお開催を求めるのなら、なぜ、何のために開くのかという論理を示すべき」、「スポーツ界は黙って成り行きを見守っているだけ。社会と共にコロナに対抗することをしてきていない」、「居酒屋を閉めさせて、五輪を開く意義はどこにあるのか。スポーツは他者の犠牲の上に花を咲かせるものではないはず」、「スポーツの側から、『やめましょう』と言い出すことが極めて重要」。読んで、胸がすく思いでした。
 登校や出勤、部活や大会、観覧や観賞、外食や外出を自粛・中止させながら、感染拡大の重大な要因といわれる海外や国内で起きると予想される「人の流入」をなぜ容認するのでしょう。人生は一度きり、命は一つしかありません。オリ・パラはこれからも存続するというのに……。
 わたしのクラブの子も、練習したのに試合が流され、選ばれたのに全国大会が中止され、楽しみを失い夢を奪われました。その子らの悔しさは、オリンピックが中止になった場合の代表選手の嘆きと、どう違うのでしょう。コロナ禍であっても、スポーツをする者にとっての憂いは「同等」のはずです。
 わたしの声など、砂つぶのように小さく、波に消されていくのは目に見えています。菅総理が唱える「安心安全な五輪」は、開催に向け着実に進んでいくことでしょう。しかし、オリ・パラの「特別さ」として要件が認容されるのは、代表選手の技量と大会の真義だと思います。
 あけまして、おめでとうございます。
コロナウイルスの感染は、まだまだ鎮まる気配がありませんが、「三密を避ける、手洗いとうがいを欠かさない、必要に応じてマスクをする」などの対策に万全を期して慎重に活動していきたいと考えています。
 
国立病院機構仙台医療センターのウイルスセンター長 西村秀一氏は朝日新聞の取材に、肥満や運動不足の子どもが増えている現状に憂慮したうえで、「校庭が閉鎖されたことは理解できない。子どもはむしろ、校庭で思いっきり遊ばせてあげるべき」と指摘し、次のような所見を述べていました。
 
① 大空の下での感染リスクは、極端に密集しない限り、ほぼ皆無。
② ウイルスは感染した人がもっているだけで、外や外の空気にはない。
③ 小学生が、外で元気に走り回って遊んでいるときの感染リスクは、ものすごく低い。
④ 子どもで症状が悪化する例は、すごく少ない。
⑤ 子どもは大人からの感染に注意すればよく、大人がマスクをすれば充分。
⑥ 基本的に、人が密集する場所以外ではマスクは外しても大丈夫。
⑦ 室内では換気をよくして密にならないようにする。
 
これらの言葉を参考に、しかし決して気を緩めず、気を抜かず、行動することが大切です。子どもたちが元気に、楽しく過ごせる環境の提供を、今年も心がけていきます。どうぞ、よろしくお願いいたします。
     2021年元旦             森   昭 夫